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梶取弘昌氏(武蔵高等学校中学校前校長)に聞く 「目指したい20年後の教育」

第4回:子どもを見守り、気付いていない長所を褒め、伸ばす

梶取弘昌氏(武蔵高等学校中学校前校長)に 「目指したい20年後の教育」を伺いました。

大人の顔色を見て勉強するようになる子どもたち


ダヴィンチ☆マスターズ(以下、──)教育現場は急には変えられなくても、親として、少しでもできることをしたいと考える方は多いと思います。今できることはありますか?


梶取弘昌氏(以下、敬称略):子どもたちに対して、「あなたを見ているからね」と言う目線を持つことではないでしょうか。


例えば小さい子どもがジャンプする様子を「見てて!」と大人に見せれば大人は「すごいね!」と声を掛けますよね。


同様に教育でも、「見ているよ」という意思表示が子どもの安心感につながります。放任と見守りの境目が難しい所ですが、見守るということは、声を掛けてあげることでもあります。


──声を掛けると、また、過干渉になったりしませんか。


梶取:それは見守るはずの親が、いつの間にか自分の思う方向に誘導してしまうケースですね。世の中にはさまざまな「崖」があります。親はつい、その手前に頑丈な「柵」を用意したくなりますが、それでは子ども自身の危機察知能力は育ちません。


親は「ここから先は崖だから危ない」というラインを把握し、そのラインを子どもが越えないかどうかだけ見ていて、崖に近づき過ぎたら「危ないよ」と声を掛け、手を引っ張ってあげる。それが「見守る」ということです。


──必要な声掛けするけれど普段は見ているだけ……と。


梶取:さらにしてほしいのが、褒めること。お子さんの良いところを20挙げて、「あなたのこういうところが素晴らしいよね」と伝えてあげてください。


ただしウソはいけません。例えばリコーダーを吹くときに運指がめちゃめちゃなのに「指使いが素晴らしい」などと場違いなことを褒めても、子どもは分かっていますから納得しないんです。


それよりは、例えば鉛筆の持ち方がとても良ければ「あなたの鉛筆の持ち方は素晴らしい」とか、サッカーでボールを片付けるのがうまければ「片付けがサッとできて素晴らしい」とか、「そうか、自分にはそういうところがあるんだ」という、自分では褒められると思っていないことでも発見して、褒めてあげる。


大人でも、自分では気付かず、人から指摘されると、ああそうかと納得して、その部分を生かそう、伸ばそうと思いますよね。


理解できているところまで立ち返り、知識を深める教育を


──なかなか20も、長所を見つけて褒めるのは難しそうではあります。


梶取:一緒に絵を描いてみるのもいいんですよ。お父さんやお母さんが描いた絵を見せながら「この絵どう?」「この前出かけた公園で、これが見えたんだけど」と子どもに聞いてみる。すると子どものほうから「こうじゃなかったよ」などと意見が出ますし、「俺のほうがうまいよ」と自分の絵を丁寧に完成させるかもしれません。


その時に大事なのは、「写実でなくていい」「学校や教室で褒められる絵を目指さなくていい」ということ。その子の視点が生かされていることが大事です。


例えば子どもは、ある1枚の葉が気になると、その葉だけ大きく描くことがあります。それを見た時に「実際と違い過ぎる」と指摘するのがいいのか、「これすごいじゃない、あの葉っぱは、こんな形をしてるんだね」と感心するのがいいのか。明らかですね。


何よりも、子どもたちが見えているものと、大人から見えるものは同じではありませんから彼らにとっては絵に表したものが本物なのです。


──つい評価を気にしてしまいますが、評価を上げることよりも、感性を育むことが大事ですね。


梶取:理性で感じたことがすべてではありません。好きなことをしている時は、あっという間に数時間が経ちますよね。


──となるとまずは、親の反応を変えることが大切なのでしょうか。


梶取:今は感性を育み、柔軟性を持たせることがなかなか難しい面があります。

情報過多の世の中ですので、インターネットで調べたことを、分かった気になって自分の「知識」として話すことができてしまう。


でも、上辺の理解ではなく、自分の腑に落ちて理解できているところまで立ち返り、知識を深めていくことが大切です。そうでないとすぐに思考停止状態に陥り、「賛成」か「反対」かだけで結論付けようとしてしまいますよね。


教育格差=経済格差に…教育システムの改革が必要


──昨今は、学びの機会を与えようとすると経済的に豊かな家庭が有利なようにも思えます。この格差は埋められるものなのでしょうか。


梶取:教育格差は経済格差がそのまま出ていますよね。いわゆる良い大学に行くには、お金がかかるのです。行きたくても行けない子どもたちがいるわけです。


これは、個人レベルでは可決できるものではありません。国が、すべての子どもたちが必要な教育を受けられるように対策すべきです。ネット環境さえあれば、世界中どこでもMOOCs(ムークス)の授業を無料で受けられるわけです。


MOOCs(ムークス):2008年頃にアメリカでスタートした、インターネットを用いた大規模公開オンライン講座のこと。Massive Open Online Courseの略字。「大規模オープン・オンライン・コース」とも呼ばれる。1コースの受講者は数万~数十万人、ウェブ上で大学レベルの授業を基本無料で提供。


アメリカで始まったサービスですが、すでに日本にもJMOOCが設立されていますので、経済的に不利であっても、ネット環境さえあれば勉強する機会が得られる時代に入ってきています。


もちろん教育はFace to Faceが基本ではあるのですが、毎日必ず何時何分に学校に行かなければならないという時代ではない。旧態依然としたシステム……もしかしたら6・3・3制も見直さなければならないのかもしれません。


──システムを見直すことから、教育格差の課題が解決していく可能性はありそうですね。


梶取:現状、日本だと高校を卒業したら大学に進学しなければ就職に不利だなどといった風潮がありますが、そもそも大学で学ぶという選択肢しかないのも不自然ですよね。

海外では高校卒業と同時に家を出て独立するように促される国もありますから、そうなると自活していくしかなく、たとえ国立大学に入学して授業料がなかったとしても、生活費は稼がなければならなくなります。


つまり、4年で卒業できる大学に8年通って卒業するという学び方もあるわけです。社会に出れば学ぶ視点も変わってくるでしょう。


「教育」だけを改革するのではなく、「社会」も変わる必要性


──確かに、社会人になってからのほうが学びが深まるように思います。


梶取:加えて教育改革だけでなく、社会全体の考え方も変わる必要性がありますよね。

大学教育改革の話が出てきた時から申し上げてきたのですが、教育改革をどれほど進めても、社会の常識が変わらなければ何の意味もないのです。


音楽で「浜辺の歌」を取り上げて、「あした浜辺を さまよえば」という歌詞の「あした」はどういう意味なのかを考えれば国語の勉強になりますし、あるいはあの歌詞の情景を絵に描いてみようとすれば、あの情景には誰がいるのか、いつなのかといったことを考えるようにもなる。音楽だけど国語の要素を取り入れながら学んでいくことで、見えてくる世界が豊かになります。


自分の意見を持ち、「それは違う」という発言ができるように教育しても、社会に出たとたん上司が言ったことが絶対だという「自分の意見が許容されない」世の中では意味がないのです。


──「許容」される社会でなければ、「変化」にも対応しづらくなりそうですよね。そうなると、もはや子どもたちだけに押し付けるわけにはいきません。無理に掲げたプログラミング教育や英語教育のために、習い事を増やしても意味がないと感じました。


梶取:プログラミング教育が無駄であるとは思いませんが、小学校で必修教科にすれば論理的思考が育つというわけではないんです。論理的思考はそもそも普段の生活の中で身に付くはずのもので、プログラミング教育と銘打ち「成果」を求めた瞬間、面白くなくなります。


ただ変わりゆく今の時代において、何が正解ということはありません。私にしても一つの考えとしてお話ししていますし、反対の意見はあってしかるべきです。


例えばプログラミング教育や英語教育だって、今の方針自体が間違いだということではなく、「実際には何をすればいいのか」「これをやることで子どもたちはどんな経験が得られるのか」という目線があればいいと思っています。


──教育において、親が果たす役割もますます変わってきそうですね。


梶取:今後は学校の先生に教育を任せるのではなく、いろんな仕事をされている皆さんだからこそできる教育を意識してみるといいのではないかと思います。


何も家庭で政治の話をしなさいというのではなく、この絵をどう思うかなど、新聞やニュースで知ったさまざまなことについて、「どう思うか」をお子さんと家で話してみること。そうした日々のコミュニケーションによって、子どもたちの論理的思考も育まれていくと思います。

プロフィール

梶取弘昌(かじとり・ひろまさ)


1952年東京都出身。1971年武蔵高等学校卒業。東京藝術大学声楽科卒業。1977年武蔵高等学校中学校講師。1988年武蔵高等学校中学校教諭。2006年武蔵高等学校中学教頭。2011年4月武蔵高等学校中学校の13代校長に就任(~2019年3月)。現在は東京私学教育研究所の特別調査研究会『学校づくり研究会』委員長、武蔵高等学校中学校芸術科講師を務める。声楽家としても演奏活動を行っている。専門はドイツリートだが、現在ではポピュラー、ミュージカルなど幅広く演奏している。また楊名時太極拳を学んでいて現在は準師範、師範をめざして修行中。自宅近くに畑を借り野菜をつくっている。また生徒と一緒に稲作にも挑戦。「土づくり」が作物にとって重要であるように、教育においても「土壌づくり」が最も大切であると感じている。

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